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幼少期の家と家族の記憶

  • #エッセイ
2024年3月25日

~家の記憶エッセイ~ 住まいと棲み家とお宅とアジト

住まいにまつわるショートストーリーをお届けします。
日々の、日常の、住まいと家族のこと。
朝のコーヒーを飲みながら、通勤電車の中で、煮物が煮あがる待ち時間、就寝前に。
インテリアやインタビュー記事を執筆しているフリーライターによるコラムです。

昔住んだ家を再訪したい欲が
遠征試合のおかげで全てかなう

東京・埼玉・神奈川の3都県で、子供時代に8回引っ越して5つの小学校に通った。それぞれの家と家族の記憶が結びついていて、思い出すと切ない。10歳の時に両親が離婚して以来、会わないまま老いて父は亡くなり、亡くなっていたことを数年後に知った。10歳までは誰よりもパパっ子でべったり離れない娘だったから、父のいた家とその後の家、それぞれに複雑な思いがある。

4人家族から3人家族へ

自分も家庭を持ってから、子供時代を過ごした家を見たい気持ちが強くなった。どこも1時間強で行ける距離だが、子育てや仕事に追われて時間が過ぎていく。ある時期は、自分の通った5つの小学校や中学校を地図で探し、ストリートビューで四方から眺めて楽しんだ。が、住んでいた家は私道の奥で見えなかったり、住所の記憶があいまいだったり。

そんななか、4年前から機会が訪れる。サッカー好きな三男がクラブチームに入り、リーグ戦や遠征試合で首都圏各地に出向くようになったのだ。しかもコロナ禍、夫の運転で送迎するものの観戦不可の試合が多く、都度待ち時間ができる。その間に、子供時代に住んでいた団地やマンション、戸建てを探して訪ねるのが小さな楽しみになった。意外にも、数十年経っても建物は残り、誰かがそこで静かに暮らしていた。

帰宅後に母に話すと、その街で暮らしたことさえ大抵忘れていたが、一番最近の試合で訪れた鎌倉のマンションのことはよく覚えていた。初めて訪れたグラウンドからすぐのマンションに、かつて母子で4年間住んでいたのだ。そこが三男の遠征試合で訪れる、“過去のお宅拝見ツアー”の締めの場所になった。

幼少期に暮らした家々を再訪したいと思うのは自分だけだろうか。過去にとらわれ過ぎかも知れない。ただ、実際に訪れたことで何かが清算された気がしている。ずっと同じ街で育った息子たちは、未来しか見ていないのかもしれない。そうだとしたらいいな、と思う。

~本コラムの筆者プロフィール~

葉山 郁子(はやま・いくこ)

ライター。小学校時代に4回転校するなど引っ越し好きの母と首都圏を転々とした後、神奈川県寄りの都内に定住。大手出版社で複数の編集部と雑誌創刊を経験。現在はフリーでエンタテインメント分野の記事を中心に執筆。社会人、大学生、高校生の3人息子と夫の5人世帯に加え88歳の母と二世帯同居している。

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